見ていた当たり前な風景が当たり前じゃなかった303日間といま
これは過去の回想録です。つらつら書くのでとても低俗的な内容になるのかもしれません。しかもちょっと哲学的です。
全ての始まりは1年半前の11月。ひょんなことからイギリス留学を決めたんです。
そういえば言ってなかったな。
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) November 2, 2018
来年の春からイギリスに行きます。あと170日。
ステップアップしに行きます。
情報は追って更新していこうかと思います。
170 days until To United Kingdom https://t.co/87hRcCP6ah #countdown pic.twitter.com/87CVwFF7ZD
最初の3ヶ月のコースが終わり、1週間のホリデイの時にふとエモーショナルになって、
ロンドン行きの電車乗ってると思い出す。3年前に一番最初にイギリスで乗ったケンブリッジ行きの長距離電車のことを。
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) August 25, 2019
海外で過ごす期待や不安。全てを背負ってKings Crossから出発したんよな。
この感覚。強烈だけどすごく懐かしい。んー言葉が出て来んわ。
Go let it out / Oasis#NowPlaying pic.twitter.com/h7WX9bdOWV
そして、卒業から1年がすぎた時、イギリスの大学院から仮合格通知のメールが来た時も過去を振り返りながら、
昨日でちょうど大学を卒業してから1年が経ちましてね。(今日そういえばとふと思った)
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) March 26, 2020
大学の教授からはお前は卒業難しいやら、周りの知り合いからはお前は教師に向いてないだとかあーだこーだ言われていた身なんですが、蓋を開けてみたらイギリスに9ヶ月もいて
しかし、コロナの影響もあって日本に戻った時にも、過去を振り返りながら
イギリスの写真見てたら戻りたくなっちゃった。 pic.twitter.com/db90Egwjcd
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) April 28, 2020
この10ヶ月、303日間の生活の中、思い返してみたらもうエモいことだらけだったんです。喜怒哀楽の全ての感情が水が流れるように湧き出ていてね。普段あんまりエモエモ言わないんですが。
10ヶ月の間に3つのクラスで授業を受け、それぞれのクラスで友達ができ、クラス外でもクラブ仲間やイギリスの友達もでき、今でも連絡を取る間柄に。
勉強についても、慣れない英語の授業の中でも必死に喰らいつき、先生から褒められて嬉しかった時もあり、怒られて落ち込む時もあって。
セルフマネジメントについても、自分の得手不得手を分析して、不得手の克服の追求に必死にもがき続けていました。
別にイギリスにいる間、日本が恋しくなるということもなかったんです。逆にいま逆ホームシックになっているくらいです。イギリスにいる間、衣食住には困らなかったし、別に差別や偏見にもあったわけでもないし。自由な時間の中で自分の欲求に忠実になれたというか、やりたいことをとにかくできた環境なんです。
とにかくいま日本に帰ってきてから、祖国にいる安心感はあるんですが、イギリスのような非日常の中で自分を伸ばしていく、そんな原動力となるようなエンパワーメントが感じられなくなっているのも事実なんですよね。極端に日常的になってしまっているというか、日常に甘んじられてしまうというか。日本に帰ってその弊害に結構苦しんでいるんですよね。日本の友達と会える安心もありますが、いまこのコロナの状況で会いたいにも会えないですし。
非日常を日常として感じてしまうバイアスはイギリスにいる間でも感じていました。途中でダレてしまって緊張感がなくなってしまうというか。住めば都と言っても、私にはネガティブな意味と捉えてしまうんですね。昔っから持続力がない私にとって、常態化によってモチベーションが下がってしまうのは克服すべき課題の一つなんです。当たり前は当たり前じゃないという言葉を思い出します。ただ、一つだけ言えるのが、非日常空間だったと思えるのは全てが終わってから。完結した過去の出来事を対象化してやっと非日常空間だと言える。
なんかこの記事を書いている途中から感謝という言葉を連想しまして。あんまり「感謝」という言葉にはいいイメージが浮かばないんですよね。昔から「人に感謝せよ」と洗脳的に教育し続けられたということもありますし、あんまり大声では言えないんですが、家族との不仲もあって、世間体から「親に感謝せよ」と言われて苦痛を感じていたというのもあります。本質的に、感謝は強要されるものではなく人の心のうちから湧き出てくるものなんじゃないのかなって。宗教チックになってしまって自分でも気持ち悪く感じてしまいますが。「人の心のうちから湧き出てくる感謝」....。いまはあんまり具現化できませんが。なんか、非日常な経験をできた自分、その経験の舞台に立てた自分に感謝というか、褒めるというか。
あんまり褒めるのも褒められるのも得意じゃないんです。褒められても「え?なんで私褒められているの?」って感覚に陥ります。あんまり自己有用感や自己承認感がないというか。それにも関わらず、他人から認められたい欲はあるという。なんとも自分勝手で自己矛盾を抱えてるんだなあって思います。イギリスにいた時も、些細なことでも「Lovely!」「Wow! Sounds Great!」って当たり前のように言われるものですが、自分ではよくわかっていないんですよね、何がLovelyなのか、何がGreatなのか。これも常態化していて本質に気づけていない非日常なんでしょうか?
やっぱり違和感を感じますね。でもネガティブな違和感とは違うんです。非日常なや人とは違ったことをやったときの当たり前じゃない感や周りからの評価と、それに対する自分の心の内への感謝。先人たちが作り上げてきた総体的な価値観に人や社会は絶えず縛られますが、いま抱えるポジティブな違和感や自由に熱狂するのはその価値観に対してのアンチテーゼなんでしょうかね。自己の新しい価値観の創生というか。仰々しいですがね。
ふと過去を思い返してエモい気持ちになるのも、いま存在する価値観を過去にあった価値観と比較して変化した時に現れる感情なんでしょうね。いまはもうエモい感覚でいっぱいですね。良いエモか悪いエモか置いておいて。ただ、その気持ちになった自分、エライぞ。感謝ですね。
はい、回想録、ここでおしまい。
自己流、目標設定・振り返りシートを作る。
2019年でございます。亥年年男で厄年。どうも良い年なのか悪い年なのかわからない2019年である。今年も尖っていくので悪しからず...
◯あなたは目標をちゃんと達成したことある?
さて、年始になるとよくこんなツイートを目撃する。実はこれ、私の新年一発目の文章である。
2019年目標決めました。
— てぃーだぶさん@Heineken帽子 (@BakerlooStreet) 2018年12月31日
2020年迎えるまで自分の中にとどめておきます。
本年もよろしくお願いします。
「あけましておめでとうございます。今年の目標は◯◯することです。頑張ります。本年もよろしくお願いします。」系の文章である。
2019年は自己変革の年にしたい。しかし、今までの自分にとって、目標は設定しても、それを達成したことなどほとんどない。どうしても半ば諦めてしまうか、設定した目標まで到達できずに終わってしまうか、他人任せで目標を達成するかの3つしか私は経験していない。「自分でやりきった!頑張った!」という実感を持てたことがほとんどないのである。お恥ずかしながら...。なので、目標を決めたところで、それを確実に実行する保証は今のところ自分にはないのだ。
目標を達成するには的確なプランニングが必要である。よく(G)PDCAやらOODAやら聞くが、今回はPDCAサイクルに基づきながら自分の目標を達成するために必要なことをシェアしてみる。PDCAサイクルについては私のブログではなく、他のライターさんが書かれているブログの方がわかりやすいと思うので、PDCAサイクルの理論的な説明はそちらへ。
過去のやらなかった自分と決別をするため、様々なブログを読んでPDCAの理解を図り、そして先日とある勉強会でいつもお世話になっているとある先生とお会いして、目標設定のために必要なノウハウを教わった。アウトプットのまず手始めに試作でこんなのを作ってみた。
☑️目標設定・振り返りシート(以下のリンクからシェアしたものをご覧になれます)
その先生から、「目標というのはそれを決めて実行するというただ単純なものではなく、それによって目指す自分(なりたい姿)をイメージしてからスモールステップで実行に移すというものだ」ということを教わった。
◯Checkの記入例
Check 1:あなたの月間目標は何ですか?
→2/9に行われるIELTS for UKVIでスコアOver All 6.0を目指す
Check 2:そのような目標を設定した理由は何ですか?
→イギリスの留学のためにIELTSが必要だから
Check 3:月間目標を達成することであなたはどんな人間になれます(なりたいです)か?
→イギリスに留学できる保証ができる/自分の英語スキルの証明ができる/今までやってきた語学学習が無駄ではなかったという証拠ができる/イギリスで無理なく語学勉強ができる土台を作ることができる/様々な外国人とたくさん英語で議論ができるようになりたい...etc,
Check 4:達成に必要なステップは何ですか?
→IELTSの試験問題分析/自分の現在の英語能力の測定/測定をもとに4つの要素(Reading, Writing, Listening, Speaking)をどうやってスコア6.0まで引き上げるかの見通しを立てる/見通しをもとにそれぞれの要素の能力を引き上げる(勉強時間それぞれ2時間)/しばらく行った後に再度英語能力を模擬試験で測定する/測定をもとに足りない箇所を分析/分析したものをもとに再度勉強/本番前には本番テイストで模擬試験を行う/試験本番の準備/...etc,
Check 5:達成するためにどんな評価基準を設定しますか?
→勉強時間の確保ができたかどうか、要素分析ができたか、見通しが立てられたか、2度目の模擬試験でスコアを上げられたか、無理なく進められているか、...etc,
Check 6:そのような評価基準を設定した理由は何ですか?
→勉強時間に比例して英語の成績は上がると感じるため。...etc,
目標設定シートの記入例はこんな感じである。ほら、こんな感じで目標を詳しく分析して目標を明確化してあげるだけで、その後の行動に現実味が出てくるでしょ?
◯日々の記録は紙面上で!
こんな感じで目標分析を行って、日々の記録を2ページ目のカレンダーに記入していく。評価は人それぞれであるが、一番わかりやすいのは「できた(◯)か、微妙(△)か、できなかった(×)か」の3つの評価方法ではないかと個人的には思う。パッと3つの記号でその日の進捗状況がわかるし、全く手をつけられなかったために日付の下に×が並んだら「ヤバい」と感じるだろう。
私の中でこのシートをパソコン上で行うのはなく、紙媒体でコピーして日記感覚でつけようかと思っている。紙の方が頭の中に残るからである。
◯1ヶ月が終わったら必ず振り返りを!
さて、1ヶ月「日記」が書けたら必ず1ヶ月の分析をする。その1ヶ月で何が変わったのか1ヶ月前に書いた「なりたい自分」に近づけたかをしっかりと分析する。分析し終わったら、その結果が悪かったとしても、とりあえず自分を褒めよう。しかし、何もやらずに1ヶ月無駄に時間を過ごしたら、自分を「バカヤロウ!」と叱りつけよう。叱りつけたら、そこで過去のことを考えるのは終わり。その先の1ヶ月を考えよう。
振り返ることに時間をかけるのはとても大事なことだが、「あーなんであの時やんなかったんだろう...」とうじうじと考えるのはオコチャマ。切り替えて「次こそは!」と気持ちを切り替えよう。
明日は成人の日。カラダは成人だがココロがオコチャマである私にとって成人の日になれることを期待して、明日、この「目標設定・振り返りシート」をいくつかコピーして目標を分析したいと思う。
ではでは。皆さん本年もよろしくお願いします。
てぃーだぶ。
ウワベだけで生きるのをヤメた日
12月に入りまして、寒さも一段と厳しくなりました。鹿児島は暑いです。
4ヶ月の間ブログの更新がストップしてましたが、その間に色々ありまして。
まずは、4ヶ月間の振り返りを。
◯決断を迫られた8月末
前回の更新は、2018-08-17でしたねそういえば。
この時は、トビタテ!留学JAPANに参加すると意気込んで留学計画書を新宿で練り上げていた。過去のトビタテ生と意見交換をしながらより良い文章を練り上げていた。しかし、親との意見の相違で喧嘩が絶えず、今後どう折り合いをつけるべきかがわからず、悶々としていた。母との議論は基本的に母が感情的になったらそこで議論は終了。一旦落ち着かせるか、別日に再度議論するかの2択。書類の提出期限は9月はじめ。家に帰ったらいつも待っているのは感情的になる議論。全てが嫌だった。
その時、母親が提示した条件は、トビタテを受けて大学院行くよりも大学院に行ってから自分のお金で世界を周りなさい。トビタテを使うよりも先に卒業をしなさい。こう言われて、私は反論する余地がなかった。しかし、親が敷いたレールで歩きたくないという思いがあったため、なかなか飲み込もうとはしなかった。9月初めの提出期限までに、留学計画を練り上げる中で適切な言葉をチョイスする難しさを覚えてしまい、さらに母親と議論することに辟易してしまっていることで私は精神的に疲れてしまった。
そこで、私は今後の母との良好な関係を築くために妥協策を提示してみた。卒業してからどうしてほしいのかをしっかりと聞き、私がどう行動して欲しいのか、母の意見、自分の意見を踏まえて議論することにした。
妥協策としてはこうだ。
⑴卒業をしてから私がやりたいことに全面応援すること
⑵トビタテは受けずに、海外の大学院に行くこと
⑶議論中は、最低限のマナーとして感情的な態度は出さないこと
母はこれを飲み、応援することを決めたらしい。それと同時に私も母の意向は飲んだ。あとで自分の意思をもっと主張しておけばと激しく後悔はすることになるだろうが、母親との関係を考えるとこれが一番いいのではないかと思った。
ここで、私はトビタテで海外に行くのはやめるという、大きな決断をした。
◯watchaとの出会い〜9月からwatchaまで〜
Twitterを教育系アカウントに切り替えたのもその頃である。もともと内田良先生のツイートを見て、私も始めようと思った。
教育実習の経験やフィンランドの学校現場視察の経験を踏まえて私も発信できるのではないかと考え、元々あった個人アカウントを教育系アカウントに切り替えた。
その時に舞い込んできたのがこのツイートである。
【重要なお知らせ】#watcha学生and若手 を開催します!
— Myu (@Myu05854938) 2018年7月21日
○日時 10月中旬から下旬?
○場所 東京?
⚠︎日時と場所に関しては変更になる場合があります。9月上旬には決定する予定なので、続報をお待ちください。
RT、拡散お願いします。#watcha pic.twitter.com/EghnmLI656
行かなければ、ここでフィンランドで学んだものを教育現場に生かして欲しい!そのためにも発表しなければ!
と思って企画発案者に連絡。すかさずにぜひの一言が。そこからは月日が流れるのが早かった。
フィンランドの学校現場を体験してきたからこそ伝えられることを盛り込み、11/23に東京に行った。
パソコンは持った。家のカギもかけてきた。自分の用意もカンペキ。
— てぃーだぶさん@Heineken帽子 (@BakerlooStreet) 2018年11月22日
いいだしっぺ(@Myu05854938)とその仲間たちはもう会場についてる頃でしょう。
仲間たちに会うべく、東京に行きます。
ひとりのてぃーだぶという人間が魅力しにいきます。1400km先から。#watcha学生and若手 pic.twitter.com/bQjcOfHPJa
当然学びは深かった。様々な人との出会いを通じてわかるその人自身の経験や思い、それを読み取り、共感できる喜びに、watchaに参加してよかったと感じた。
◯つながりから見えた自分というもの〜watcha以降〜
watcha以降、特に同じ大学4年生との交流が増えた。企画発案者のMyuさんやブースで教材研究の発表を行っていたdreamer.さんといったように、来年教師になる人や、自分の夢を切り開こうとする人の情報発信や交流が盛んになった。さらに、次のwatchaにつなげるための同期生の実践や行動に私も感化され、次の行動を起こすことができた。
【仮決定!】【拡散希望】
— てぃーだぶさん@Heineken帽子 (@BakerlooStreet) 2018年11月29日
watcha 社会科×国語科! in Kyoto
教科横断型授業の考察で教材分析の質を高める!
【詳細】 Coming soon...
しかし、その中で今まで自分が放っておいた自分の中にある「弱い」部分を出会った人々との交流から見直す必要があると感じた。さらに、今まで私が発信していた教育行政系のツイートだけでなく、教材分析系のネタも発信していく必要があると感じた。
#watcha学生and若手#Dreamerブース
— Dreamer. (@i_am_a_dreamer5) 2018年11月24日
🌈教材研究ワークシート⑴🌈
教員になってから教材研究の
時間が取れない!!?
それは困る→今武器を作ろう!
自分なりの必要事項と実践書から
ポイントを絞って作ったシート。
初見書き込み→追究書き込み→指導案
の流れを生み出せる。
追究の要素が見える。 pic.twitter.com/opGHC481ty
これはあくまで一例だが、このようなツイートができるようになりたいと感じた。
◯本題:自分の弱さとは?
ここからが本題である。私には「先延ばし」の癖がついてしまっている。watchaでも、登壇者のスライド提出も当日ギリギリになってしまったり、大学の模擬授業でも授業計画からの指導案作成のコメントが遅れてしまい、最終的に授業がうまくできなかった。
では、なぜ物事を先延ばしにしてしまうのか?
これらのサイトを分析してみると、先延ばししてしまうのには「負(ネガティヴ)の感情」があるため、その感情の結果として「先延ばし」という行為が行われるのではないかと思う。要は、快の感情のモチベーションをどう維持できるかである。
例えば、模擬授業。今回は2人グループで授業を作らなければならない。授業構成段階では私が構成を考えたので、モチベーションは高かった。しかし、授業案を構成する中でパートナーに任せっきりになってしまい、いざできた時には修正しようにも修正できないものがあった。ここに、負の感情が入ってしまい、モチベーション維持を保つことができなかった。結局授業はボロボロ。落ち込む結果となってしまった。
さらに他の例だど、教育実習である。今まで学校現場で授業を一切したことがないので、具体的な授業のイメージや軸を持つことなくしていざ授業を行うとなってしまうと、当然「できるのか?」「無理でしょ?」という負の感情がやってきてしまう。そのため、快の感情に逃げてしまい、やるべきことから逃げてしまう。
◯ではどうするべきなのか?
先の2つの例で考えてみよう。模擬授業では、コミュニケーションをもっと取れていれば、先延ばしという行為を回避することができたし、教育実習では、イメージと軸を明確に持つことで負の感情を回避できる。
このように負の感情を取り除いたり、適切なコミュニケーションをとったりすることで、先延ばしの行為は回避できる。
先延ばしをしないためには、以上の通りモチベーションを維持することがまず第一である。さらに、成長するために避けて通れない嫌なことから逃げないことも必要である。
◯モチベーション維持のための様々なDo
モチベーションに維持には様々な方法がある。様々なサイトに維持の方法が記載されているので、参照されたい。
◯私が目指す最低限のDo
上のサイトにも記載されているのだが、シンプルな目標、1日のタスク管理、各タスクの具体化、1日の仕事量の把握、を意識しながら今後行動につなげていこうと思う。時間軸でシンプルにまとめておくとこうなる。
◇長期スパンで考えるべきこと
シンプルな目標設定
仕事量の把握
◇短期スパンで考えるべきこと
タスク管理
◇1日の中で考えるべきこと
各タスクの具体化
例えば今日は4つのタスクを考える。
⑴中間レポート(今日中に終了できる仕事量)
→12/10までが提出期限。時間があるうちに作成する。
⑵登壇資料作成(プロットと内容構成の確立)
→12/08に使用。わかりやすさを追究するために早い段階で構成を練る必要
⑶卒論(一次資料の3項目読破)
→年内をめどに終わらせたいという思い。
⑷ブログの作成
→watachaが終わって自分が思っていることを伝えたいと思ったから。
このように明確に設定することによってモチベーションが維持できるし、意識することによって先延ばしを減少あるいは回避することができるだろう。
また、モチベーション維持のために圧迫感を排除することにも気をつけたい。切羽詰まった状態で行うタスクと心の余裕がある状態のタスクだとどちらがより深い内容に突っ込むことができるか。紛れもなく後者である。余裕のある状態で確実に物事を踏んだほうが後から修正も可能になる。
さらに、メリハリも大事である。あるラジオで落合陽一氏が行っていた言葉である。つまり、ONとOFFの切り替えである。だらだらと何時間も同じ作業を行なったとしても、生産性は上がらない。時間を決めた方が時間という制約が生まれるため、いかにそのタスクを終わらせられるかという戦略を立てやすく、生産性が上がる。
◯最後に
この4ヶ月間で人との出会いがあったり、信頼を失うようなようなこともしてしまった。出会いがあったにも関わらず、それを失うことはしたくない。うわべだけでは生きることはできなくなった。この4ヶ月でこれを重く受け止めることができた。様々な人から期待されるため、やりたいことをできるようになるために。日々精進していくことをここに誓います。
新宿という街から日本の歴史を考える授業(第1部)~県庁所在地~
千葉に帰省して自宅でゆっくりしていると思いきや、もう新宿に3日もいる。
新宿という街は実に面白い。新旧が融合した街には様々な物語がある。
日本一旅客者数が多い新宿駅はダンジョンで、出口を間違えるとゲームオーバー。自分の行きたい出口方面に行くためには最低10分は駅構外で歩かなければならない。JRや小田急、京王、西武新宿の駅構内やそれぞれの連絡通路は平日でも人でごった返し。さすが世界一。
新宿周辺界隈も西口と東口、それぞれ全く違った世界。プレハブの飲み屋もあればスカイスクレイパーもある。
外人もめちゃくちゃいる。どこのコンビニに行っても外国人が働いていて、外に出ても雑踏の中から日本語以外の言葉がひっきりなしに聞こえてくる。酒場に行っても明らかに日本人と思しき人が外国語を話している。
千葉で生を授けられてはや22年、新宿には数えきれないほど行っているが、ここ数年改めて新宿を街探検すると面白いものが見えてきてさらに新宿という街の魅力に惹かれた。
◯東京都の県庁(都庁)所在地、新宿
思い出してみよう。小学校で県庁所在地を47都道府県全部覚えさせられた。千葉県なら千葉市、鹿児島県なら鹿児島市、北海道なら札幌市。では東京都は?
私が小学校の時には東京都の県庁所在地は東京と習ったのだが、東京といっても詳しくはどこなのか?国会議事堂?皇居?東京タワー?
東京都のHPにはこう書かれてある。
www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp
東京都の都庁所在地は東京都新宿区西新宿2丁目だそうだ。
小学生の時には県庁がある場所という意味の県庁所在地と捉えておらず、ただその都道府県で一番人が多い場所か一番都道府県で機能的に大きい場所かという認識しかしていなかった。小学生に「けんちょうしょざいち」という単語は難しくて意味を正確に把握するのには苦労する。
◯本当に県庁所在地がその都道府県で人口が最も多い場所なのか?
さて、小学生時代の自分にこんな疑問を投げかけたい。
「本当に全ての県庁所在地がその都道府県で人口が最も多い場所なのか?」
調べてみたら答えはNOなのだ。
こんな記事があった。
なんと5県も他の市町村人口が県庁所在地の市町村を上回っているのだ。
例えばここ
群馬県の県庁所在地は前橋市。しかし、人口はお隣の高崎市の方が上回っている
(高崎:36万⇄前橋:34万)
今回はこの群馬県をテーマに県庁所在地について考えて行きたいと思う。
◯県庁所在地はどういう経緯で決まったのか
はい、社会科の授業になってきましたね!
明治政府が1871年の廃藩置県によって旧藩から新しく府県に切り替わった。その当時は3府302県もあったそうな。しかし、そんな細かく多くの府県を分けてしまうと、中央は統制が不可能になる。というわけで最初の3府302県から3ヶ月後には3府72県に縮小、最終的に明治22年には今の母体に近い3府43県になったそうだ。
さて、その合計45府県ではそのテリトリー内での統制に必要な中心地を決める。
中心地を決める際、一番合理的な方法は昔の城下町や中心地をそのまま県庁所在地にすることだ。
例えばここ
はい出ました。私のいま住んでいる鹿児島(上の写真は鹿児島港から眺める桜島)。
西郷どんで有名な薩摩藩は島津氏の力が強かったため、薩摩藩の政治中心は鶴丸城(鹿児島城)である。
先の合理的な手法で行くと、鹿児島県の県庁所在地は鹿児島市になる。実際県庁所在地も鹿児島市である。
では、群馬県はどうなのか。
江戸時代の石高では上毛地方(現在の群馬県一帯)は高崎城(5万2千石)と前橋城(15万石)がツートップである。
しかし、明治政府は高崎市の方に県庁所在地を設定した。
廃藩置県から現在にかけて群馬県一帯で何が起こったのか!なぜ移動したのか!!
歴史が今紐解かれて行く。
(写真は高崎名物だるま弁当)
次回に続く...
東京へ
バスはやっぱり寝れない。
鹿児島-博多間夜行高速バスに揺られて約6時間、そこから今新幹線で東京に向かっている。博多-東京間も約6時間である。現在小倉あたりを通過中である。
いつもは飛行機で帰省先に約3時間で着くのに今回は帰省先の千葉まで14時間...
ポジティブに考えればゆっくりとできる。ネガティブに考えれば移動時間が長すぎる。
◯予定、予定、予定
前回の更新でも言及したが、10月頭までの予定が決まっている。9月初めまで関東にいて、そこから岐阜の白川郷と大分でワークショップ、それが終わり次第鹿児島へ戻り卒論の中間発表。そのあとまたもう一回千葉に帰りセミナー、終わり次第9月中旬からは鹿児島でバイトずくめ。移動がもう大変大変。今回の帰省も次回の帰省もセミナーや企画会議に没頭。休む暇もない。
◯幸せとは何か
こんなに移動距離と時間が長く、その場その場の予定も詰まっているからといって苦痛と感じることはなく逆に充実感を覚える。なぜなら、これら全てが自分の未来投資として考えているから。セミナーも企画会議も全て教育関連。自分が人生の伴侶と決めた教育という分野にどんどん投資することで自分の未来の光が見えてくる。これが自分にとっての幸せであって、行動力の鬼は止まることを知らない。
◯自分に何ができるのか
10月にある企画内でファシリテーターをやらせてもらえることになった。前回の宮崎でのファシリテーターの活動はあくまで大学生としての目線。次回の企画は前回の大学生としての目線に加えてある一人の人間としての目線で企画のファシリテートを行う。対話力や自分が考える教育の問題点を追い続けてきてまだ日は短いが、今度は自分の生き様を高校生ではなく、全国から来る現職の教員、同じ教員志望の学生に対して発信する。さて、まだ22歳のペーペーに何ができるのか。
◯強みを生かせ
一つの自分の強みがある。それが先に言及した「未来志向」である。
この強みに気づけた本がある。
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0
- 作者: トム・ラス,古屋博子
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2017/04/13
- メディア: 単行本
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この本では巻末のキーコードをネットに打ち込むことでテストを受けられる。そのテストは自分が持つ潜在的な強みを分析し、今後の行動のヒントを与えてくれる。
私もこのテストを受けて、自分の強みを理解することができた。私の強みは以下の5つである。
⑴未来志向
⑵最上志向
⑶着想
⑷ポジティブ
⑸成長促進
この中で⑴未来志向にこのように書かれてある。
あなたは、未来に何ができるかというビジョンがみえ、それを心に抱き続ける夢想家です。現在があまり
にも失望感をもたらし、周囲の人々があまりにも現実的であることがわかった時、あなたは未来のビジョンをた
ちまち目の前に呼び起こします。それがあなたにエネルギーを与えてくれます。それは、ほかの人にもエネルギ
ーを与えます。事実、あなたが未来のビジョンを目に浮かぶように話すのを、人々はいつでも期待しています。彼
らは自分たちの視野を広げ、精神を高揚させることができる絵を求めています。あなたは彼らのためにその絵
を描くことができます。練習しましょう。言葉を慎重に選びましょう。できる限りその絵をいきいきと描きましょう。
人々はあなたが運んでくる希望に飛びつきたくなるでしょう。
まさに企画でやりたいことである。現在の教育課題に立ち向かうため、将来教育現場が働きやすい環境にするために、自分ができることを総動員して何かを発信する。
教員の必要な仕事と不必要な仕事を整理して教員の本来の立場を全うできる職場環境を作り上げること、人とのつながりを増やしコミュニケーションの幅を増やすことの2点を発信していきたい。そのために労を惜しまず自分の今の知識をフル回転させて企画を成功させたい。トビタテ!留学JAPANや卒論の中間発表の資料作成もあるが、両立させられるように計画を練り上げていかなければならない。
自分の弱みである「無計画」にならないように意識しながら。
まずは東京までの車中、トビタテの計画書修正と企画のプレゼンを考えながらゆったりまったりしっかりしよう。
ではでは、皆さん東京でお会いしましょう!!
曲の意味
昔から聞いている曲がある
ロックンロールは鳴り止まないっ/神聖かまってちゃん
◯叫べ!
バンドを中3から始めて、最初はiTunesの無料ダウンロード配信でダウンロードしただけの曲が今となっては人生の応援ソングとなった。
今も遠くで聞こえるあの時のあの曲がさ
遠くで近くですぐ傍で、叫んでいる
遠くで見てくれあの時の僕のまま
初めて気がついたあの時の衝撃を僕に
いつまでも、いつまでも、いつまでもくれよ
もっともっと、僕にくれよ
もっと、もっと、もっと、もっと、
くれよ!
遠くにいる君目がけて吐き出すんだ
遠くで近くですぐ傍で叫んでやる
最近の曲なんかもうクソみたいな曲だらけさ!
なんて事を君は言う、いつの時代でも
だから
僕は今すぐ、今すぐ、今すぐ叫ぶよ
君に今すぐ、今、僕のギター鳴らしてやる
君が今すぐ、今、曲の意味分からずとも
鳴らす今、鳴らす時
ロックンロールは鳴り止まないっ
こんなに衝撃的な曲は初めてで、8年前の無料シングル配信から聞き続けている曲はない。
特に胸に突き刺さる
「初めて気がついたあの時の衝撃を僕に いつまでも、いつまでも、いつまでもくれよ」
「だから僕は今すぐ、今すぐ、今すぐ叫ぶよ」
というフレーズ。暖かく次の一歩を踏み出す勇気をくれる。
叫びたくなる。しかし自分ではカラオケではこんな情熱的に叫べない。
◯思いついたらやるんだ
なぜこんなにも共感するのか
「今すぐ」というフレーズがめちゃくちゃ多い。「情熱をもって今すぐがむしゃらに行動せよ、そうすれば自分が描いていた未来像(ロックンロール)は鳴り止まずずっと続くであろう」との子はメッセージを送っているのだろうと勝手に解釈する。
がむしゃらにやるということは思いついたら行動するということだ。
今の立場としては、教育という自分が生涯付き合うだろうパートナーに向かってがむしゃらに動く。だから自分でいいと思ったことはどんどんやる。積極性を持って。いろいろな人と巡り会って、自分から様々なことにチャレンジしたい。だから思いつきで行動する。思いついたら行動するのみだ。
◯感情の原動力が世界を変える
私は論理的に物事を考えるのがあまり得意ではない。思いつきという感情的なもので行動する。だからよく行動に一貫性がないだとか、やってることが果たして目的に合っているのか疑問だとか言われる。
昔から身近に音楽があって、このメロディーいいな!だとかこのフレーズ最高だとか感情で判断する機会が多いからこんな感情論で行動する私という人間が生まれた。
だがしかし、原動力というものは何かと感情が原因で起こるものではないだろうか。
バカにされるのが悔しかったから見返してやるために行動を起こした人。
リーダーとして振る舞えなかった悔しさからリーダー論について学ぼうと行動を起こした人。
人に褒められた嬉しさから次はもっといいことをしようと行動を起こした人。
自分にも様々な原動力がある。
FD活動でリーダーとしてうまく振る舞えなかった悔しさからリーダー論についてイチから学び直した経験もある。
人に自分の思いを伝えられなかった悔しさから、「伝える」技術を磨こうとした。
お前すげーな!って褒められたから、その長所を伸ばそうといろいろな自己研鑽セミナーに参加した。
結局こう考える。
自分の思い一つで世界は変えられると。
その中には様々な計画や複雑に絡んだ問題があるかもしれない。解決に向けていばら道を通ることもあるし、自分だけでは解決は難しいために様々な人とのつながって解決しなければならないこともある。
しかし、軸は変わらない。感情ほど強い動機づけはない。今こそやる時である。
15に千葉に帰省してそこからまたセミナー4件に、企画運営会議2件、嵐だ。でもやる。できることをできるだけ多く。
企画については後日詳細を
ではでは!!
Heinekenの帽子をかぶる意味
仕事終わりには、「とりあえず生」という言葉の通りビールが飲みたくなる。
キンキンに冷えたグラスとビール瓶に触れた時の高揚感、液体と泡の比率を考えながらグラスにビールを注ぐ楽しさ、一杯グビッと飲んだ時の喉越し、どれも仕事終わりにしか味わえない気持ちである。飲み終わった時に訪れる何物にも勝る幸せは、1日の疲れを癒し、次の1日の修羅場を乗り越える勇気を私たちに与えてくれる。
◯おっさんで何が悪い
そんなことを同じ世代に言うと、わかる人もいるが、大抵が
「おっさんかよ〜」
と言い、いじられる。
同年代はとりあえず生という言葉だけで一杯目にビールを飲み、二杯目からはどんどんオシャレなお酒に移る。
しかし私はビールにこだわる。他のお酒が飲めないという理由もあるが、一杯目に味わったあの高揚感を他の酒によって忘れたくない。一杯目がどれほど重要か、一杯目の一口目がどれだけ重い意味を持っているのか、これを認識しながら酒の場に臨む。ずっとビールを飲んで何が悪い。おっさんで何が悪いのだ。
◯ビールから知る
店ごとに提供するビールが違う。サッポロ、アサヒ、キリン...
一方では海外のビールを売る店もある。カールスバーグやハイネケン、バドワイザーやギネス等々...
まずそこでビールを頼み、一口飲む。ビールによって味わいは全く違う。甘い感じや苦い感じ、辛い感じビールによって差は大きく、飲み比べてもいいくらいにビールはアイデンティティーが激しい。
そこでふと考える。例えばハイネケン。どこが製造元なのか。どんな手法で作られているのか。美味いと感じるから考えてしまう。私の興味関心アンテナが伸びた。
結局最終的にたどり着いたのはオランダ、アムステルダム。
ヨーロッパのトランジットでよくお世話になる場所である。さらにアンテナは伸びる。
「アムステルダムはどんなところなのか」
自転車の街、風車の街、といったように答えが出たところで次のアンテナが激しく交信し始める。
「オランダがどんな場所なのか実際に行ってみたい」
それが私が行動力が鬼な理由なのだと思う。
実際の現地の空気に触れ、人と触れ、日常に触れる。そのことで現地を知り、さらに新しいアンテナをどんどん伸ばしていく。それが私にとっての幸せなのかもしれない。好奇心旺盛にStopという標識は存在しないのだ。
だから私はその表象として夏でも冬でもHeinekenの帽子をかぶる。私は好奇心と行動力の鬼だと言うことを表すために。
ではでは〜