見ていた当たり前な風景が当たり前じゃなかった303日間といま
これは過去の回想録です。つらつら書くのでとても低俗的な内容になるのかもしれません。しかもちょっと哲学的です。
全ての始まりは1年半前の11月。ひょんなことからイギリス留学を決めたんです。
そういえば言ってなかったな。
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) November 2, 2018
来年の春からイギリスに行きます。あと170日。
ステップアップしに行きます。
情報は追って更新していこうかと思います。
170 days until To United Kingdom https://t.co/87hRcCP6ah #countdown pic.twitter.com/87CVwFF7ZD
最初の3ヶ月のコースが終わり、1週間のホリデイの時にふとエモーショナルになって、
ロンドン行きの電車乗ってると思い出す。3年前に一番最初にイギリスで乗ったケンブリッジ行きの長距離電車のことを。
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) August 25, 2019
海外で過ごす期待や不安。全てを背負ってKings Crossから出発したんよな。
この感覚。強烈だけどすごく懐かしい。んー言葉が出て来んわ。
Go let it out / Oasis#NowPlaying pic.twitter.com/h7WX9bdOWV
そして、卒業から1年がすぎた時、イギリスの大学院から仮合格通知のメールが来た時も過去を振り返りながら、
昨日でちょうど大学を卒業してから1年が経ちましてね。(今日そういえばとふと思った)
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) March 26, 2020
大学の教授からはお前は卒業難しいやら、周りの知り合いからはお前は教師に向いてないだとかあーだこーだ言われていた身なんですが、蓋を開けてみたらイギリスに9ヶ月もいて
しかし、コロナの影響もあって日本に戻った時にも、過去を振り返りながら
イギリスの写真見てたら戻りたくなっちゃった。 pic.twitter.com/db90Egwjcd
— 🇬🇧 てぃーだぶさん 🇬🇧 (@BakerlooStreet) April 28, 2020
この10ヶ月、303日間の生活の中、思い返してみたらもうエモいことだらけだったんです。喜怒哀楽の全ての感情が水が流れるように湧き出ていてね。普段あんまりエモエモ言わないんですが。
10ヶ月の間に3つのクラスで授業を受け、それぞれのクラスで友達ができ、クラス外でもクラブ仲間やイギリスの友達もでき、今でも連絡を取る間柄に。
勉強についても、慣れない英語の授業の中でも必死に喰らいつき、先生から褒められて嬉しかった時もあり、怒られて落ち込む時もあって。
セルフマネジメントについても、自分の得手不得手を分析して、不得手の克服の追求に必死にもがき続けていました。
別にイギリスにいる間、日本が恋しくなるということもなかったんです。逆にいま逆ホームシックになっているくらいです。イギリスにいる間、衣食住には困らなかったし、別に差別や偏見にもあったわけでもないし。自由な時間の中で自分の欲求に忠実になれたというか、やりたいことをとにかくできた環境なんです。
とにかくいま日本に帰ってきてから、祖国にいる安心感はあるんですが、イギリスのような非日常の中で自分を伸ばしていく、そんな原動力となるようなエンパワーメントが感じられなくなっているのも事実なんですよね。極端に日常的になってしまっているというか、日常に甘んじられてしまうというか。日本に帰ってその弊害に結構苦しんでいるんですよね。日本の友達と会える安心もありますが、いまこのコロナの状況で会いたいにも会えないですし。
非日常を日常として感じてしまうバイアスはイギリスにいる間でも感じていました。途中でダレてしまって緊張感がなくなってしまうというか。住めば都と言っても、私にはネガティブな意味と捉えてしまうんですね。昔っから持続力がない私にとって、常態化によってモチベーションが下がってしまうのは克服すべき課題の一つなんです。当たり前は当たり前じゃないという言葉を思い出します。ただ、一つだけ言えるのが、非日常空間だったと思えるのは全てが終わってから。完結した過去の出来事を対象化してやっと非日常空間だと言える。
なんかこの記事を書いている途中から感謝という言葉を連想しまして。あんまり「感謝」という言葉にはいいイメージが浮かばないんですよね。昔から「人に感謝せよ」と洗脳的に教育し続けられたということもありますし、あんまり大声では言えないんですが、家族との不仲もあって、世間体から「親に感謝せよ」と言われて苦痛を感じていたというのもあります。本質的に、感謝は強要されるものではなく人の心のうちから湧き出てくるものなんじゃないのかなって。宗教チックになってしまって自分でも気持ち悪く感じてしまいますが。「人の心のうちから湧き出てくる感謝」....。いまはあんまり具現化できませんが。なんか、非日常な経験をできた自分、その経験の舞台に立てた自分に感謝というか、褒めるというか。
あんまり褒めるのも褒められるのも得意じゃないんです。褒められても「え?なんで私褒められているの?」って感覚に陥ります。あんまり自己有用感や自己承認感がないというか。それにも関わらず、他人から認められたい欲はあるという。なんとも自分勝手で自己矛盾を抱えてるんだなあって思います。イギリスにいた時も、些細なことでも「Lovely!」「Wow! Sounds Great!」って当たり前のように言われるものですが、自分ではよくわかっていないんですよね、何がLovelyなのか、何がGreatなのか。これも常態化していて本質に気づけていない非日常なんでしょうか?
やっぱり違和感を感じますね。でもネガティブな違和感とは違うんです。非日常なや人とは違ったことをやったときの当たり前じゃない感や周りからの評価と、それに対する自分の心の内への感謝。先人たちが作り上げてきた総体的な価値観に人や社会は絶えず縛られますが、いま抱えるポジティブな違和感や自由に熱狂するのはその価値観に対してのアンチテーゼなんでしょうかね。自己の新しい価値観の創生というか。仰々しいですがね。
ふと過去を思い返してエモい気持ちになるのも、いま存在する価値観を過去にあった価値観と比較して変化した時に現れる感情なんでしょうね。いまはもうエモい感覚でいっぱいですね。良いエモか悪いエモか置いておいて。ただ、その気持ちになった自分、エライぞ。感謝ですね。
はい、回想録、ここでおしまい。