新宿という街から日本の歴史を考える授業(第1部)~県庁所在地~
千葉に帰省して自宅でゆっくりしていると思いきや、もう新宿に3日もいる。
新宿という街は実に面白い。新旧が融合した街には様々な物語がある。
日本一旅客者数が多い新宿駅はダンジョンで、出口を間違えるとゲームオーバー。自分の行きたい出口方面に行くためには最低10分は駅構外で歩かなければならない。JRや小田急、京王、西武新宿の駅構内やそれぞれの連絡通路は平日でも人でごった返し。さすが世界一。
新宿周辺界隈も西口と東口、それぞれ全く違った世界。プレハブの飲み屋もあればスカイスクレイパーもある。
外人もめちゃくちゃいる。どこのコンビニに行っても外国人が働いていて、外に出ても雑踏の中から日本語以外の言葉がひっきりなしに聞こえてくる。酒場に行っても明らかに日本人と思しき人が外国語を話している。
千葉で生を授けられてはや22年、新宿には数えきれないほど行っているが、ここ数年改めて新宿を街探検すると面白いものが見えてきてさらに新宿という街の魅力に惹かれた。
◯東京都の県庁(都庁)所在地、新宿
思い出してみよう。小学校で県庁所在地を47都道府県全部覚えさせられた。千葉県なら千葉市、鹿児島県なら鹿児島市、北海道なら札幌市。では東京都は?
私が小学校の時には東京都の県庁所在地は東京と習ったのだが、東京といっても詳しくはどこなのか?国会議事堂?皇居?東京タワー?
東京都のHPにはこう書かれてある。
www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp
東京都の都庁所在地は東京都新宿区西新宿2丁目だそうだ。
小学生の時には県庁がある場所という意味の県庁所在地と捉えておらず、ただその都道府県で一番人が多い場所か一番都道府県で機能的に大きい場所かという認識しかしていなかった。小学生に「けんちょうしょざいち」という単語は難しくて意味を正確に把握するのには苦労する。
◯本当に県庁所在地がその都道府県で人口が最も多い場所なのか?
さて、小学生時代の自分にこんな疑問を投げかけたい。
「本当に全ての県庁所在地がその都道府県で人口が最も多い場所なのか?」
調べてみたら答えはNOなのだ。
こんな記事があった。
なんと5県も他の市町村人口が県庁所在地の市町村を上回っているのだ。
例えばここ
群馬県の県庁所在地は前橋市。しかし、人口はお隣の高崎市の方が上回っている
(高崎:36万⇄前橋:34万)
今回はこの群馬県をテーマに県庁所在地について考えて行きたいと思う。
◯県庁所在地はどういう経緯で決まったのか
はい、社会科の授業になってきましたね!
明治政府が1871年の廃藩置県によって旧藩から新しく府県に切り替わった。その当時は3府302県もあったそうな。しかし、そんな細かく多くの府県を分けてしまうと、中央は統制が不可能になる。というわけで最初の3府302県から3ヶ月後には3府72県に縮小、最終的に明治22年には今の母体に近い3府43県になったそうだ。
さて、その合計45府県ではそのテリトリー内での統制に必要な中心地を決める。
中心地を決める際、一番合理的な方法は昔の城下町や中心地をそのまま県庁所在地にすることだ。
例えばここ
はい出ました。私のいま住んでいる鹿児島(上の写真は鹿児島港から眺める桜島)。
西郷どんで有名な薩摩藩は島津氏の力が強かったため、薩摩藩の政治中心は鶴丸城(鹿児島城)である。
先の合理的な手法で行くと、鹿児島県の県庁所在地は鹿児島市になる。実際県庁所在地も鹿児島市である。
では、群馬県はどうなのか。
江戸時代の石高では上毛地方(現在の群馬県一帯)は高崎城(5万2千石)と前橋城(15万石)がツートップである。
しかし、明治政府は高崎市の方に県庁所在地を設定した。
廃藩置県から現在にかけて群馬県一帯で何が起こったのか!なぜ移動したのか!!
歴史が今紐解かれて行く。
(写真は高崎名物だるま弁当)
次回に続く...