Heinekenの帽子をかぶる意味
仕事終わりには、「とりあえず生」という言葉の通りビールが飲みたくなる。
キンキンに冷えたグラスとビール瓶に触れた時の高揚感、液体と泡の比率を考えながらグラスにビールを注ぐ楽しさ、一杯グビッと飲んだ時の喉越し、どれも仕事終わりにしか味わえない気持ちである。飲み終わった時に訪れる何物にも勝る幸せは、1日の疲れを癒し、次の1日の修羅場を乗り越える勇気を私たちに与えてくれる。
◯おっさんで何が悪い
そんなことを同じ世代に言うと、わかる人もいるが、大抵が
「おっさんかよ〜」
と言い、いじられる。
同年代はとりあえず生という言葉だけで一杯目にビールを飲み、二杯目からはどんどんオシャレなお酒に移る。
しかし私はビールにこだわる。他のお酒が飲めないという理由もあるが、一杯目に味わったあの高揚感を他の酒によって忘れたくない。一杯目がどれほど重要か、一杯目の一口目がどれだけ重い意味を持っているのか、これを認識しながら酒の場に臨む。ずっとビールを飲んで何が悪い。おっさんで何が悪いのだ。
◯ビールから知る
店ごとに提供するビールが違う。サッポロ、アサヒ、キリン...
一方では海外のビールを売る店もある。カールスバーグやハイネケン、バドワイザーやギネス等々...
まずそこでビールを頼み、一口飲む。ビールによって味わいは全く違う。甘い感じや苦い感じ、辛い感じビールによって差は大きく、飲み比べてもいいくらいにビールはアイデンティティーが激しい。
そこでふと考える。例えばハイネケン。どこが製造元なのか。どんな手法で作られているのか。美味いと感じるから考えてしまう。私の興味関心アンテナが伸びた。
結局最終的にたどり着いたのはオランダ、アムステルダム。
ヨーロッパのトランジットでよくお世話になる場所である。さらにアンテナは伸びる。
「アムステルダムはどんなところなのか」
自転車の街、風車の街、といったように答えが出たところで次のアンテナが激しく交信し始める。
「オランダがどんな場所なのか実際に行ってみたい」
それが私が行動力が鬼な理由なのだと思う。
実際の現地の空気に触れ、人と触れ、日常に触れる。そのことで現地を知り、さらに新しいアンテナをどんどん伸ばしていく。それが私にとっての幸せなのかもしれない。好奇心旺盛にStopという標識は存在しないのだ。
だから私はその表象として夏でも冬でもHeinekenの帽子をかぶる。私は好奇心と行動力の鬼だと言うことを表すために。
ではでは〜