興奮冷めやらぬまま

Global Education Campで最高の出会いがあって、それが自分の次のチャレンジの要素になり、次の行動の原動力になる。


正直このような企画がなければ今までと同じ堕落した生活が続いていただろうし、

自分の良さもこのような企画がなければ気づけなかったんだろうと思う。


◯人にしかできないこと

企画内に介在するファクターは"人"
その中で人が行う生産活動は"会話"
会話によって生まれるのは"信頼関係"と"つながり"

つまり、「ヒト」が「対話」によって「つながり」や「信頼関係」を産む。

当たり前のことに見えるけど、これって他の生物や機械がカンペキにできないこと。

2045年には、機械が人よりも知能が超越するという問題(Technical Singularity)があるが、到達点に達したとしても機械が唯一人間を越えることができないもの、それはコミュニケーションによる人間関係(つながり)の構築であると私は思う。機械は一つの個体自体で完全なるものだから。人間は一つの個体自体が不完全なもの。だからそれを補う形で対話によって自分の不完全さを補おうとする。これは人にしかでき得ない技である。

 

 

◯対話の可能性

以前のブログでは具体的には言えなかったことがある。

対話を古代ギリシア語訳するとディアロゴス(Dialogos)

ディアロゴスという文字内にある別の単語は論理(Logos)

つまり、対話の中にはある一定の論理がないと対話にはならない。

でも人間は感情を持っているから伝えたいことがある。だからこそ人と対話をする。

ディアロゴス(対話)にロゴス(論理)が内包しているとはいえ、それは感情という論理があるからこそ対話に到達できる。

もし人間に感情がなかったらどんな世界になるのだろうか。

あくまで私観だが、私は人間の進歩はなかったと思う。

スティーブ・ジョブスビル・ゲイツのパーソナルコンピューターの発明、ライト兄弟の飛行機の発明、、、どの発明もまずは、自分の感情から、こう未来を変えたい!という思いからが出発点である。そこから様々な人間とのつながりや対話を繰り返し、このような大成功を収めている。

無感情の状態からこれを発明します!というサイコパス人間なんて、いるわけがない。

対話やつながりの可能性は無限大である。

 

 

◯満足な対話ができる条件

でもスムーズに対話ができなくなる条件がある。

こんな経験はないだろうか?

「◯◯について説明してください」というテストに知識がないまま受けたら、玉砕されて何も自分から伝えることができなかったという経験が。

ここでの論点は、対話の構成材料である。

いうまでもなく、構成材料は「知識」である。

フィンランドのスタディーツアーで様々な人とのつながりは確かに増えたが、それは、自分がある感情的なものがスムーズに相手に認知されたから。

でももっと高次元な対話になると、感情以上の確固たる知識がないと人には"伝わらない"。

もっと具体的な例を。

例えばあなたは料理を作るとする。

めちゃくちゃ美味しくて、相手を満足させるコース料理を作りたいと思っている。

そしたら、あなたはどうする?

まず考えるのは具材と調味料である。

ここでだ。もし、用意できる具材が少なかったら美味しいコース料理をカンペキに作ることができるだろうか?

答えはNoである。

つまりだ、美味しいコース料理を作るにはそれ相応の具材の量が必要である。

それを対話に当てはめてみると、

より満足できる対話をする条件としては、それ相応の知識(具材)量と、一定の感情(調味料)が必要である。

 

日々学び続けなければならない理由がわかっただろうか。。。

 

 

 

今日はここまでとします。
最後に今回のキャンプで面白かったことを。
キャンプの打ち上げでバカみたいに飲んで、しまいには酩酊状態に。
飛行機は台風の影響で1日便変更が自由になったものの、以前予約していた定時の7:15発には乗れず起きたのは8時前に。

便変更していざ大阪空港に向かおうとしたものの阪急伊丹駅に着いて発覚した「Suicaがバスでは使えない」という事実。
何もかもがヤバい状態。とりあえず出発まで3時間あるから伊丹駅から大阪空港までの約5.6km歩くかーと思って。そこで出会った写真がこれ。

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最近外に出ていない私にとってこれみて鳥肌立った。「やば!めっちゃ綺麗やんけ!」

でも一つだけわかったことがある。

日本の風景って美しいって。Global Education Campでの余韻があったせいなのかもしれない。

こういう風景って日常にいっぱい見慣れているんだけどなかなか気づけない。

しかも、Suicaが使えなくて歩いた結果こういう鳥肌がたった風景を見ることができた。行動力の先にあるのは自分の幸せなんだろうなあってしみじみ思う。

今、自分は幸せである。人との出会い、見慣れている普通の景色に感動できること。全てにおいてめちゃくちゃ幸せ。

こういう画像見て、めっちゃわかる!って共感してくれる人いないかなぁ〜。

 

ではでは。